共働き親の放置系中学受験

共働きでも中学受験は出来るのか長男に続き2回目の実験終了。大学合格者高校別ランキングも作ります

振出しに戻った大学入試改革

大学受験への民間英語試験活用が延期になりましたが、大学受験改革のもう一つの目玉だった大学入学共通テストへの記述式問題導入も見送りになるようですね。

実質的にはセンター試験の継続かな?大学入試改革は大騒ぎしただけで結局何も変わりませんでした。

これは最初から実施が無理なの大抵の人は分かってたはずなんですけど...お願いしますよ。

 

この新しいテストになるはずだった大学入学共通テストは、思考力や表現力を見るというお題目で、国語と数学で一部記述式の問題が出題されるはずでした。

国立大学の2次試験ではもともと記述式の問題が多い大学も多いのでふーん位に聞こえますが、2次試験の採点はその大学の教員という知的な採点者資源があるのですが、この共通テストにはそれがないという大きな違いがあります。

このため、採点はベネッセの子会社に投げることになりましたが、年に一度の採点のために社員を増やせるわけもなくアルバイトが採点することになりました。

で、アルバイトでも採点できるように外形的な採点基準を作ることが必要になり、記述回答の書き方をガチガチに枠にはめて、結局思考力や表現力とあまり関係ない問題になってしまいました。

そしてそれならマークシートで良くない?と実に全うな意見が出るようになった。

更に、試行テストで記述問題の採点が同じ回答でも採点者によりばらつくことや、採点ミスも結構あったという問題も発覚。

多分こんな感じで一周してスタート地点に戻ったという。

 

そもそもなぜこんな話が出たかというと、話は2013年の第2次安倍内閣の諮問機関「教育再生実行会議」の第4次提言にさかのぼります。当時の文科大臣はベネッセと親しい文教族、下村博文さんですね。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/pdf/dai4_1.pdf


ここでは「知識偏重の1点刻みの大学入試」が問題とされ、

複数回挑戦を可能とすることや、外国語、職業分野等の外部検定試験の活用を検討する。


その結果をレベルに応じて段階別に示すことや、各大学において多面的な入学者選抜を実施する際の基礎資格として利用することなど、知識偏重の1点刻みの選抜から脱却できるよう利用の仕方を工夫する。


各大学は、学力水準の達成度の判定を行うとともに、面接(意見発表、集団討論等)、論文、高等学校の推薦書、生徒が能動的・主体的に取り組んだ多様な活動(生徒会活動、部活動、インターンシップ、ボランティア、海外留学、文化・芸術活動やスポーツ活動、大学や地域と連携した活動等)、大学入学後の学修計画案を評価するなど、アドミッションポリシーに基づき、多様な方法による入学者選抜を実施し、これらの丁寧な選抜による入学者割合の大幅な増加を図る。その際、企業人など学外の人材による面接を加えることなども検討する。

 

などと書かれており、全体的に英米式の総合的、定性的な入学選考に変えていきたいという思いが見て取れます。


アメリカ式選考は入試がなく、複数回受けられるSATというセンター試験的というかSPI的テストも材料にしますが、内申書の成績、部活動、ボランティア、エッセイ、面接などで総合的に決めます。

長所は大学にとっては「リア充ばかり集められる」「スポーツ選手も集めやすい」「寄付金沢山くれそうな親の子を集められる」「性別、人種などを多様化させることが簡単」など。

生徒側にとっては「受験勉強が要らない、予備校もいらない」ことでしょうか。

短所は大学にとっては「選考にめちゃくちゃ手間・人手がかかる」、生徒側にとっては「選考基準が不透明で受かるかどうか予想がつかない」「受験勉強は要らないが書類を映えさせるためのボランティアとかスポーツとかが大変」ことでしょうか。

 

実は韓国でも受験勉強がきつすぎて予備校代がかかることが批判され、推薦入試をかなり拡大しています。最難関のソウル大でも今や8割が推薦だとか。

その結果が法務部長官を一瞬で辞任したチョグク氏の娘さんが高校生なのにインターン先の大学の研究室で学術論文の筆頭執筆者になり、そのネタで大学に合格したみたいなことで、どうしても総合的選考は不透明にはなります。そうすると予備校代より更にハイレベルな金やコネの勝負にもなります。

また、受験勉強こそ要りませんが、内申書をよくするための教師の奴隷生活を強いられるので一面ではよりつらいことになっているようです。

英米だとスポーツはもちろん、人種加点やOBOGの子供枠みたいなものが堂々とありますから不条理感半端ない。特にアジア系には厳しいようです。

 

でもですよ、日本においても大学院入試は、試験だけでなく研究計画書や面接で総合的に選考されているので、前から総合的、定性的入試はないわけではないんです。

といはいえ研究計画書は問題意識の記述式試験ととらえればまあちょっと違うのかな?課外活動やボランティアは加点材料にならないし。


で、これを受けて文科省の「中央教育審議会」が高大接続について検討を始めます。

2014年に「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」なる答申を出しています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/01/14/1354191.pdf

「18歳頃における一度限りの一斉受験という特殊な行事が、長い人生航路における最大の分岐点であり目標であるとする、我が国の社会全体に深く根を張った従来型の「大学入試」や、その背景にある、画一的な一斉試験で正答に関する知識の再生を一点刻みに問い、その結果の点数のみに依拠した選抜を行うことが公平であるとする、「公平性」の観念という桎梏(しっこく)は断ち切らなければならない。」

「一点刻み」「知識の再生」はやはりお嫌いのようです。

東大2次なんかは画一的な一斉試験ですが、記述だらけで正答に対する知識の再生ではないよなぁ。私大入試は正答に対する知識の再生みたいなところもありますが。

 

ここでセンター試験に代わるテストの話が出てきます。

「大学入学者選抜においては、現行の大学入試センター試験を廃止し、大学で学ぶための力のうち、特に「思考力・判断力・表現力」を中心に評価する新テスト「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」を導入し、各大学の活用を推進する。」

そして

「大学入学者選抜を含むあらゆる評価において、画一的な一斉試験で正答に関する知識の再生を問い、その結果の点数だけを評価対象とすることが公平であると捉える、既存の「公平性」についての社会的意識を変革し、それぞれの学びを支援する観点から、多様な背景を持つ一人ひとりが積み上げてきた多様な力を、多様な方法で「公正」に評価するという理念に基づく新たな評価を確立していくことが不可欠である。」

「具体的な評価方法としては、下記②に示す「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の成績に加え、小論文、面接、集団討論、プレゼンテーション、調査書、活動報告書、大学入学希望理由書や学修計画書、資格・検定試験などの成績、各種大会等での活動や顕彰の記録、その他受検者のこれまでの努力を証明する資料などを活用することが考えられる。」

 

この中教審の答申では、テストはセンター試験に代わる「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」だけで、大学ごとの2次試験はなくしてしまい、テストの代わりに論文だの面接だの調査書選考を大学ごとにやるというのが想定路線だったように見えます。

そうすると2次試験がないならば共通テストに記述を入れたいというのは分かります。

 

このプランの問題は大きく2つあります。

一つめは大学に論文だの面接だのをやって全員選考するリソースが大学側にないことです。

数千人の受験生への面接は、試験監督の負担に比べてもすっと大変です。かといって英米式に選考用スタッフを絞られた運営費から出せるかというと厳しいので、たぶん各大学はベネッセに選考を委託しちゃうのではないでしょうか?

もう一つは、選考が不透明になる分、受ける側にとっては自分が受かるかどうかの予測がつきづらいということです。

予測がつきづらいとどうするかというと、より沢山受けておかないとあぶれるので沢山の大学を受けるようになります。日本の大学院受験も英米式大学受験も、国立大学入試と異なり沢山願書出せるので総合的選考でも成立しているのです。

すると受験の費用や手間がもっとかかるようになり、大学側も受験生が増えるものの入学者歩留まりが減って選考の手間ばかりがかかるということになりそうです。

この段階では共通テストはテストセンターでPCに向かって回答していくCBTにして年に何回か受けられるアメリカのSATとか就活のSPI的なものとして想定されていました。

 

この後文科省に「高大接続システム改革会議」なる会議体が立ち上がり、2016年に最終報告が出ます。

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2016/06/02/1369232_01_2.pdf

「学力の3要素(1)十分な知識・技能、(2)それらを基盤にして答えが一つに定まらない問題に自ら解を見いだしていく思考力・判断力・表現力等の能力、そして(3)これらの基になる主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度である。」

「大学入学者選抜については、既に大学によっては改善に向けた取組が進められつつあるものの、多くの大学では知識の暗記・再生や暗記した解法パターンの単なる適用の評価に偏りがちで、思考力等を問う問題であっても、答えが一つに限られている設問が多い。」

具体的な評価方法としては、例えば、次のようなものが考えられる。
・ 「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の結果
・ 自らの考えに基づき論を立てて記述させる評価方法
・ 調査書
・ 活動報告書
・ 各種大会や顕彰等の記録、資格・検定試験の結果
・ 推薦書等
・ エッセイ
・ 大学入学希望理由書、学修計画書
・ 面接、ディベート、集団討論、プレゼンテーション
・ その他

「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の導入
知識・技能を十分有しているかの評価も行いつつ、「思考力・判断力・表現力」を中心に評価する。
このことにより、大学入学に向けた学びを、知識や解法パターンの単なる暗記・適用などの受動的なものから、学んだ知識や技能を統合し構造化しながら問題の発見・解決に取り組む、より能動的なものへと改革する。」

中教審の答申通りですね。

この最終報告に関して国立大学協会が出した提言がこちらです。

www.janu.jp

一部引用しますと

「⼤学⼊学希望者学⼒評価テスト(仮称)」の制度設計に当たっては、評価も⾼く広く受け⼊れられている現⾏の⼤学⼊試センター試験の検証・評価を踏まえて検討が⾏われるべき。

 

「⼤学⼊学希望者学⼒評価テスト(仮称)」については、いまだに具体的に検討すべき課題が⼭積しており、拙速を避け、段階を踏まえた着実な実⾏計画の検討と準備が必要。

大学側も不安でいっぱいなのがここからわかります。その予感は見事に的中したのですが。

○今回の⾼⼤接続システム改⾰の評価が、広く社会に受け⼊れられるまでの間、国⽴⼤学は3ポリシーとの整合性を図るため、個別の⼊学者選抜においては個別学⼒検査を実施するものと想定。

米英型の総合選考はは当分無理よという意味ですね。

文科省は大学側の選考リソースのことはわざと見ないようにしているとしか思えない。

 

しかし、このころにはもう文科大臣は下村博文さんではなくなっており、あまり世間で注目されないまま実施へと進んでいきました。

 

しかし、大学側も2次試験をやらないで総合選考やるというところは結局多くなく、共通テストで記述式を入れる意味もほとんどなくなってしまっていました。

そして、2017、18の試行テストで山ほど問題が起きたものの、慣性で進んでいたのが萩生田大臣の「身の丈受験」発言でクラッシュしたというところでしょうか。

実にGJでした。

英語民間試験も共通テスト記述式も狙いは間違っていないと思いますが、完成度の高いセンター試験に比べると、コストがかかる割に設計も実施もガバガバにしか見えないので。

 

じゃあどうするんだという話ですが、まず前提として日本人の学力は高いので、これまでの日本の教育システムはそんなに悪くないということを認識しましょう。

PISAの大人版として「国際成人力調査」というのがありまして、この内容は

○読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力の3分野のスキルを調査。また、年齢や性別、学歴、職業などに関する背景調査を併せて実施。
○知識の有無を問うのではなく、日常生活の様々な状況の中で情報を活用するスキルを重視。数学の公式などの知識がないと解けない問題が出題されることはない。

というもので、知識の再生でなく新学力観の「思考力・判断力・表現力」に近い内容です。

これで日本がOECDで何番目だったかというと

  • 読解力 1位
  • 数的思考力 1位
  • ITを活用した問題解決能力 1位(ちょっと注釈付き)

と無双しております。

教育に掛ける国家予算も少なく、大学進学率も高くない日本がこのパフォーマンスというのは、だいぶシステムが優秀ということなのではないでしょうか?

これが経済成長や所得に今一つ結びついていないのは残念かつ不思議ですが多分教育や国民の能力以外のところに理由があるのでしょう。

www.mext.go.jp

 

その前提の上で更に良くしたいというのであれば、有識者の主観的意見ではなく客観的なデータをもとに考えたいですね。

  • 社会人としてのパフォーマンス(収入とか)
  • 大学生としてのパフォーマンス(学校とか学部とかGPAとか)
  • 受験生としての要素(試験の成績、内申書、卒業校、各種属性...)

ここらへんの関係をきっちり見て、出てきたものをてから考えたいです。だれかやっていそうにも思えるので、見られるものをご存知でしたらぜひ教えてください。